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【お酒】1580.宗玄 本醸造 上撰 お燗瓶 180ml [17.石川県の酒]

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宗玄酒造株式会社
石川県珠洲市宝立町宗玄24-22

内容量 180ml
原材料名/米(国産)・米麹(国産米)・醸造アルコール
アルコール分/15度
精米歩合/65%
(以上、瓶の印刷事項と肩に貼られたラベルとより転記)




今日は能登半島は先端近く、珠洲市の飯田湾に面した“宗玄”なる場所に蔵を置く宗玄酒造さんのお酒をいただきます。
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宗玄酒造の先祖は戦国時代、七尾城主を務めた畠山義春の一族。天正五年(一五七七)、上杉謙信の城攻めに遭い、珠洲に逃れ、宗玄と改姓してこの地に移住した。その後、興した酒蔵が永く繁栄し、地元の人々に親しまれたため、この一帯を宗玄村と呼ぶようになつたという。」(※1)とのこと。
そしてその宗玄さんが酒造りを開始した時期は、「古記録によると明和五年(1768年:ブログ筆者追記)に宗玄家は酒造業を始めており、売り出された酒を里人は宗玄酒と呼んだとある。」(※2)のだとか。

そんな江戸時代中期に酒造業を開始なさった宗玄さんですが、酒造りが発展したのは江戸時代後期になってからなのだとか。
なんでも宗玄さんの四代目であった忠五郎さんが、当時の酒造先進地域であった知多半島(尾張)や伊丹(摂津)で酒造技術を学び、それを持ち帰ってきたのだそうです。
このことについて、以下のような記述がありました。

 見山と号した四代目主人の忠五郎は、当時、珠洲地区で飲まれていた酒がいわゆる「どぶろく」であり、酒の味も香りもあまり問題にされず、ただ酔いを得るだけのために飲酒されているのに飽き足らず、自ら酒蔵に入り苦心研究、数年にわたったが、良酒を得ることができなかった、このため、決然志を立てて、酒造先進地に、その秘法を求めることにし、家郷をあとにしたのは1844(天保15)年の春だった。
 まず、尾張国亀崎に赴き、ついで当時日本一の美酒醸造地として知られていた「清酒発祥の地」摂津国伊丹へ足をのばし、たまたま知った郷土出身の松谷与兵衛方に身を寄せ、心魂を打ち込むひたむきな修行の末、ようやく美酒づくりの秘伝を習得するに至ったのだという。
 1847(弘化4)年春、帰郷した忠五郎は、研究成果を基に、純良の清酒を醸し、「剣山(けんざん)」と名付けて売り出した。この地方では初めての清酒であり、忠五郎の苦心譚も評判となって、近郷近在に名声を博した。」(※3)

そんな能登の清酒発祥蔵とも言うべき宗玄さんのこのお酒ですが、上撰の小印が付された本醸造でした。
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本醸造ですので、今日もぬる燗でいただきます。

お酒の色は、ほぼ透明でした。
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うまみは淡めですが、淡めなりにしっかりしています。
米のうまみが広がらずに舌の上にピンと乗っかってくるみたいです。
苦みや雑味はまったくありません。
キレはよいですが、透明感はありません。

酸味はややひかえめです。
すっぱさは弱めで、スースー感を少しだけ感じる程度です。
ただ、かすかにピリッとくるみたいです。

甘みはややひかえめです。
弱めですが、その存在はよくわかります。


淡麗旨やや辛口のおいしいお酒でした。
この舌を突くようなうまみから察するに、もしかしたら五百万石を使用しているのでしょうか?
またかすかにピリッとくるようですが、それ以外に雑味は一切感じませんでした。

このうまみとかすかなピリとから予想するに、おそらく魚との相性がバッチリでしょうよ。
手元の在庫には宗玄のカップ酒が3種類あるので、それらをいただく際には魚料理と合わせてみようと思います。


(※1)北陸の酒蔵編集委員会編『北陸の酒蔵 銘醸50選』p.123(1996.7 能登印刷出版部)
(※2)北陸電力企画『北陸酒紀行』p.66(2002.3 橋本確文堂)
(※3)北國新聞社出版局編集『宗玄の挑戦 能登杜氏を生んだ250年酒蔵』p.162-163(2019.2 北國新聞社)
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ma2ma2

明日は福島の酒を飲んできます(^^)
by ma2ma2 (2019-05-22 22:11) 

skekhtehuacso

ma2ma2さん、えーなー!
わてもいきたいわ。
by skekhtehuacso (2019-05-23 21:31) 

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