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【お酒】1030.沢の鶴 山田錦 特別純米酒 生酛造り 生貯蔵酒 [28.兵庫県の酒]

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沢の鶴株式会社
神戸市灘区新在家南町五丁目1番2号

原材料名/米(日本産)・米麹(日本産米)
アルコール分/14.5度
精米歩合/70%
300ml
(以上、ラベルより転記)




灘五郷の最も西側の地域である“西郷”に蔵を置く沢の鶴さんのお酒は、かつて特撰吟醸瑞兆と、普通酒の樽酒(酒道粋人)本醸造の上撰お燗瓶、それに本醸造の上撰生酒をいただいております。
今日いただくこのお酒は、特別純米酒生酛造り生貯蔵酒です。


このお酒は、兵庫県播州産の山田錦を100%使用しているのだとか。
でも、特A地区産のものに限定しているわけではないみたいです。
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「山田錦」で造った酒の味は、濃醇で幅があるとよく言われる。」とか、あるいは「「山田錦」の酒は味、香りに広がりが違い、口の中の広がりがふくよかである。」(※1)そうですが、果たしてこのお酒からもそういった味わいを感じ取ることができるのでしょうか?


また、このお酒は生酛造りなのだとか。
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かつてこのブログでは、生酛で育った酵母は力強いので発酵がよく進み、その結果きれいな酒質になるという趣旨の記述を紹介したことがありました。
ということは、このお酒も雑味のないきれいな酒質なのでしょうか?


いただく前からああだこうだと考えていても、お酒の味はわかりません。
これらのことを念頭に置きつつ、そろそろいただいてみたいと思います。
生貯蔵酒ですので、冷蔵庫で冷やしたものをいただきます。

お酒の色は、透明でした。
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生貯蔵酒らしいフレッシュな風味はありますが、クドくなくてちょうどいい感じです。

うまみは淡めですが、淡いなりにしっかりしています。
米のうまみが口の中全体にパッと広がるのは、やはり山田錦の効果でしょうか?
それに、口を切ってしばらく経つにつれて、酒臭さ(←ほめ言葉です)が徐々に出てきたようです。
苦みや雑味はまったくありません。

酸味はややはっきりしています。
すっぱさは強くはないものの、鋭さを少し感じます。
刺激やピリピリ感はありません。

甘みはややはっきりしています。
さらっとしたした甘みを、少し強めに感じます。


フレッシュな風味に米のうまみ、それに酸味が効いた、淡麗爽快甘口のお酒でした。
フレッシュな風味がちょうどよく、酸味と相俟ってさわやかさを作り出しているようでした。
また、徐々に酒臭さ(←あくまでもほめ言葉です)が出てきて、飲み応えも感じました。
雑味がなくてきれいなのは、やはり生酛造りで育った酵母の効果でしょうか?、それとも灘の宮水のおかげでしょうか?

ただ、これは私の嗜好に基づく偏見かもしれませんが、甘みがちょっと気になりました。
甘口好きのみなさまには、ちょうどよいかもしれません。


(※1)兵庫酒米研究グループ編著『山田錦物語 人と風土が育てた日本一の酒米』p.27(2010.4 神戸新聞総合出版センター)

【お酒】1013.Vセレクト 淡麗辛口 灘の鬼ころし カップ [28.兵庫県の酒]

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販売者:株式会社バロー
岐阜県多治見市大針町661-1
製造者:大関株式会社
兵庫県西宮市今津出在家町4-9

原材料名:米(国産)・米こうじ(国産米)・醸造アルコール
アルコール分13度以上14度未満
200ml
(以上、ラベルより転記)




このお酒ですが、岐阜県多治見市に本店を置くスーパーが企画し、兵庫県は灘五郷のうち今津郷にある大関さんが造ったお酒のようです。
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そういえば以前、広島県福山市に本店を置くスーパーが企画して、灘五郷のうち魚崎郷に蔵を置く櫻正宗さんが造ったカップ酒をいただいたことがありました。

なお、大関さんのお酒は、これまでに以下のものをいただいております。
266.オダキュー 天下の険 上撰 カップ
386.大関 超特撰 大坂屋長兵衛 大吟醸 180ml
695.本醸造 上撰 辛丹波 300ml
1000.ワンカップ大関 上撰


“鬼ころし”という酒銘が付けられております。
その意味については、かつてこちらでまとめておりますので、ご参照下さい。
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またこのカップ酒ですが、フタには“金鹿”という銘が記載されておりました。
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金鹿(きんしか)は、かつて大関さんと同じく灘五郷の今津郷にあった灘酒造さんが使用していた酒銘です。
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〔『灘の酒博物館』巻末折込図より(1983.10 講談社)〕

文献や確定的な情報に当たったわけではないので正確に記述することはできませんが、この灘酒造さんは21世紀に入ってから廃業し、それを大関さんが救済に乗り出して傘下に収めたようです。
きっとその際、大関さんが“金鹿”の酒銘も引き継いだのですね。

これは二年前に撮影した、西宮市にある金鹿さんの宮水井戸を示す看板の写真です。
廃業した後も、井戸は残っていたようですね。
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宮水の意味については、こちらをご参照下さい。


灘酒造さんは、灘での酒造りは昭和三十年代からと比較的新しかったようですが、その由来は戦前に朝鮮半島で酒造りをしていた蔵元さんにあったのだとか。
このことについては、手元の文献に以下のような記述がありました。

 朝鮮北部で「元山酒造」を経営していた植田(植田八郎・当時の灘酒造社長:ブログ筆者注記)にとって、敗戦はまさに青天の霹靂だった。内地の不況とは対照的に順風満帆だった酒造り業が烏有に帰した。工場設備などはすべて接収。財産どころか、家族五人が無事に引き揚げることが精いっぱいだった。
 揖保郡御津町出身の植田の父・伊之助は日露戦争後に朝鮮に渡り、大正五年から酒造業を始めた。業績は順調に伸び、昭和七年には、家督は植田に移った。昭和六年に勃発した満州事変後、清酒の需要が急増。元山酒造の石高は終戦の二十年には一万石近くにまで達した。もっとも軍需をはじめ日本人相手の商売がほとんど。当時朝鮮での清酒醸造会社は百社を超えたが、その多くは軍の力をバックにした日本からの進出企業だった。
 帰り着いた植田は、食うや食わずの生活を続けた。ようやく大阪で海産物の卸の仕事を細々と始めたものの、虚脱感はどうすることもできない。一日中釣り糸を垂れて過ごすこともあったが、酒造りへの熱い思いは断ち切ることができなかった。
  (中略)
 植田らは二十八年「朝鮮引き揚げ清酒製造業者連盟」を結成。全国に散らばっていた約八十人の元業者を探し出し、「われわれにも酒造免許を」と、国税庁酒税課へ連判で訴えた。
  (中略)
 引き揚げ者は、四つの地域に分散して“復活”することになった。岡山、山口、長野、そして兵庫。植田らは二十七人が集まり、苦しいなかから五百万円を捻出し、資本金とした。酒蔵は神戸・西郷にあった「忠勇」(若林酒造)の蔵を借りることができた。仕込みは三十年十二月に始まった。
 「灘酒造」。酒銘は「金鹿」。新しい灘酒の誕生である。
  (中略)
 灘酒造は三十五年、西宮に移り、灘五郷の中堅メーカーとして歩み続ける。初年度の石高はわずか九百九十石だった。植田は灘で初めて造った酒の味が、今も忘れられないという。」(※1)


そんな金鹿の酒銘を今に引き継ぐこのお酒ですが、糖類や酸味料は添加されていないものの、アルコール度数がやや低めに設定されておりました。
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醸造アルコールを添加して造ったお酒ですから、もろみを搾った際の度数は20度を超えていることでしょう。
それ故、おそらくこのお酒は加水を多めにして薄めて量を稼いでいるのだと淡麗さを出しているのだと思います。

たしかにね、お値段も118円と破格の安さでしたよ。
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もしかして大関さんでは、“金鹿”を安酒の銘柄としてお手軽なお値段のお酒の銘柄として使用しているのでしょうか?

でもね、別の文献によれば、在りし日の金鹿はなかなかの良酒だったそうですよ。
 金鹿は、一万石ほどの蔵です。100%灘の酒をキャッチフレーズにして、桶買いをしないで、自製酒のみを出荷しているところに、特色があります。特色のある製品としては、一、二級の辛口銘柄名の金鹿にちなんだ「バンビカップ」など。もちろん、こういう蔵の酒は、デラックスで、その特長を味わいたいものです。」(※2)
(桶買いについては、かつてこちらの末尾で触れております。)


大変お待たせいたしました。
そろそろいただいてみたいと思います。
普通酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。

お酒の色は、ほとんどわからない程度でした。
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うまみはやっぱり淡めです。
でもね、淡いなりに醸し出された酒臭い(←ほめ言葉です)うまみを感じますよ。
それに、熟成感もかすかにあるみたいです。
軽い苦みもちょっとだけあるみたいですが、まったく気にはならない程度です。

酸味はややひかえめです。
すっぱさは弱めですが、鋭さを少し感じます。
刺激やピリピリ感はありません。

甘みはややはっきりしています。
淡いせいかもしれませんが、べとついた感じはなく、さらっとしています。


淡めだが、淡いなりに味と飲み応えとを感じることができる、淡麗旨やや甘口のお酒でした。
度数の表示のみならず味わいの淡さからも、おそらく加水は多めだろうなと感じました。
でも、ワンカップ大関の上撰よりも、こちらのほうが酒臭さ(←あくまでもほめ言葉です)や飲み応えがあって、よりお酒らしい味わいでした。
私はワンカップ大関よりも、こっちのほうが好みですね。
それにこの値段でこの味わいでしたら、御の字だと思います。
もしかしてこれは、在りし日の金鹿の味わいを今に受け継いだ成果なのでしょうか?


(※1)神戸新聞社会部編『生一本 灘五郷-人と酒と』p.221-222(1982.11 神戸新聞出版センター)
(※2)中尾進彦『灘の酒』p.97(1979.7 神戸新聞出版センター)

【お酒】1000.ワンカップ大関 上撰 [28.兵庫県の酒]

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大関株式会社
原材料名:米(国産)、米こうじ(国産米)、醸造アルコール
アルコール分15度以上16度未満
180ml詰
(以上、ラベルより転記)




1000個目の記念すべきお酒は、やはりこれしかないでしょう。
(といっても、何を血迷ったか、かつて一度だけ《番外編》なるものを設けておりますので、正確には1001個目ですが。)

なぜならば、「ワンカップは、昭和三十九年十月1964年10月:ブログ筆者注記)(東京オリンピック開催、東海道新幹線運行開始)に発売した。」(※1)わけですが、まさにこのワンカップ大関こそが、「日本酒といえば一升瓶で売られるのが当たり前だった時代」(※2)に、日本、いや世界で初めて発売されたカップ酒だからです。

すなわち、私がこんなばかばかしい内容のブログを書くことができるのも、大関さんがワンカップ大関を世に送り出してくださったおかげなのです。


なお、大関さんのお酒は、これまでに以下のものをいただいております。
オダキュー 天下の険 上撰カップ(今日いただくお酒と同じ中身か?)
大関 超特撰 大坂屋長兵衛 大吟醸 180ml
本醸造 上撰 辛丹波 300ml

また、これとか、あるいはこれのようなワンカップに似て非なるものもありましたが、これらは他社の製品でした。



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“ワンカップ大関”や“ワンカップ”は、大関さんの登録商標です。
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それ故、“ワンカップ”を名乗ることができるカップ酒は、このワンカップ大関だけなのです。
つまり、ほかの蔵元さんが販売しているカップ酒をワンカップと呼ぶことは、適切ではないのです。


開発の契機は、「飲食店で酒を注文すると徳利で出されるため銘柄がわからないが、商品名を記したコップで販売すれば、だれにでもわかると考えたのだ。」(※3)とか。
あるいは「当時、日本酒は、一升瓶からとっくりへ移し、おちょこに注いで飲むのが一般的な飲み方でした。「ワンカップ大関」はその過程を大幅に省略し、手軽にカップからそのまま飲めるようにしたのです。同時に、屋内だけでなく、どこでも日本酒を飲めるというスタイルを実現しました。」(※4)とのこと。

アタリマエと思われていたお酒の飲み方を変えるというすごいアイデアを思いついた「『ワンカップ大関』の生みの親は、一般に十代文治郎 (当時の大関の社長であった十代目長部文治郎:ブログ筆者注記)だと言われている。」(※5)そうです。
しかもその「十代文治郎は、「アイデアマン」で知られた人だった。」(※5)とのこと。



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しかし、社長がどんなにすばらしいアイデアを思い付いても、社員の皆さんがそれを実現させるためには、得てして並大抵の苦労では済まないわけですよ。

割れにくい容器や、高い密閉性と開けやすさとを両立させるフタを設計製造することはもちろん、「キャップ材から移る臭いが問題になった」(※6)こともあり、それを克服するために苦労なさったそうです。

また、当初は「ジャムの広口瓶が日本酒に応用できないかを検討した」(※7)ものの、「スクリュータイプのキャップは容器の縁に刻まれたねじ山が口に当たる。飲み心地をよくするにはコップのようなつるりとした形状が理想だ。」(※8)ということで、今のような飲み口を設計したのだとか。
しかしこれにも問題が発生し、「リップタッチを良くするために瓶口が少し膨らんでいるため、瓶同士がぶつかるとこの部分が破損することがある。」(※9)ことから、昭和40年(1965年)からカップに“ポリ蓋”をかぶせるようにしたとのこと。
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そういえば、ワンカップ大関のみならず、今日のカップ酒には呑み口の直径を胴の部分のそれと同じにしているものが少なからずあります。
これもきっと、ポリ蓋と同じく、割れないようにするための工夫なのでしょうね。
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また、社員の皆さんが苦労なさったのは、技術開発だけではありませんでした。
社員の多くは立ち飲みの品のないイメージが強いコップ酒に抵抗があった」ことから、「ここでメンバーが腐心したのは、冷や酒と立ち飲みというマイナスイメージをいかに振り払うかだった、そこで対象年齢を若年層とし、立ち飲みを連想させない商品を目指すことにした。」(※10)という、商品イメージをよくするための努力も払われていたそうです。

この青地に白いアルファベットでデザインされたラベルも、数ある努力の結果のうちの一つと思われます。
これは「十代文治郎の「清酒らしくのうてええ。若者にマッチするような色を使ってくれないやろうか」という要請に応えたものだ。当時の清酒業界では珍しかった地色の青は、十代が旅行先のハワイで魅了された海の色に由来するものだというエピソードも残っている。」(※11)のだとか。
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イメージの問題はともかく、このラベルのデザインは、発売から50年以上経った今日においてもたしかにけっして斬新さを失っておりませんね。



さらに、製造したワンカップ大関を全国の酒屋さんに置いてもらうために、「毎月、分担を決めた地域に入り、そのエリアの酒販店の名簿を手に訪問営業を行なった。」という「ローラー作戦を仕掛けた」とのこと(※12)。
また、大関との取引がない地方の卸店に対しては「既に大関と取引のあるその地域の特約店の名前を出し、その特約店の二次店として扱ってもらえないかという交渉」をしたり、あるいは少ない数のワンカップ大関を酒販店へ配送することを嫌う卸店を説得するために、大関の「営業担当自ら酒販店に届けることを条件に、伝票を切ってもらうということまで行なった。」そうです(※13)。

いまでこそワンカップ大関はどこの店に行っても普通に見られるお酒となっていますが、これは社員の皆さんが営業活動に注いだ努力の成果なのでしょう。
これは私の推測ですが、当時は制度的にも、また酒販業界の意識にしても、今よりもお酒の流通に対する制約が多かったことでしょうから、その努力は並大抵のものではなかったことでしょうね。



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これらはあくまでも一例です。
なにせ世界初のカップ酒を世に送り出したわけですから、大関さんはもっともっとたくさんの問題を乗り越えてこられたことでしょう。
それを可能にしたのは、大関さんの社是に“魁精神”という考え方があったからなのだとか。
最後に、その魁精神について紹介している(と思われる)文献の記述を引用したいと思います。

 大関の長い歴史を振り返ってみると、苦境でも諦めず、リスクは恐れないが、一方では堅実に先へ進もうという意志が常にあることを感じる。この経営意志は、後に十一代文治郎によって「魁(さきがけ)」という言葉に凝縮された。」(※14)

 大関という企業には、「魁(さきがけ)精神」という言葉にも表されているように創醸三〇三年の歴史の中に、自分たちで新たなものを生み出していくDNAが受け継がれている。」(※15)

 大関という清酒メーカーは、ただ日本酒を造って売るだけではない。日本酒のあり方、楽しみ方、そして日本酒に関わるサプライチェーンのあり方、日本酒を扱う人たちのあり方に至るまで、あらゆることに「問い」を立て、問題提起しながらその答えを自ら創造することを行なってきた。
 『ワンカップ大関』はその最たるものだったわけである。だからこそ「ワンカップといえば、大関」という、一商品の存在にとどまらない存在価値をもつことができたのだ。」(※16)



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大変長らくお待たせいたしました。
ワンカップ大関の凄さを紹介させていただいたところで、そろそろいただいてみたいと思います。

普通酒ですので、いつもならばぬる燗でいただくとことです。
しかし、このワンカップ大関は、店頭での販売方法やそのお手軽さから判断するに、おそらく冷や(常温)でいただくことを想定しているものを推察いたします。
そこで、今日は冷や(常温)でいただきます。

お酒の色は、かすかに着いていることがわかる程度でした。
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これは一般的なお酒のあじわいとはちょっとちがう、独特の風味ですね。
生貯蔵酒に似ているような、あるいはラムネのような風味を感じます。
一方で酒臭さはまったくなく、苦みや雑味もいっさい感じませんね。
でも、よくよく味わってみると、米の味をかすかに感じるみたいです。

酸味はひかえめです。
すっぱさはまったくなく、さわやかさをちょっとだけ感じます。
当然ながら刺激やピリピリ感はありません。

甘みははっきりしています。
けっこう甘めですが、それでいてべとついた感じはないですね。


淡麗軽快甘口のお酒でした。
酒臭さとか熟成感とか、あるいは吟醸香とか、そういう一般的な清酒の味わいとは全く異なると思います。
これは私の感想ですが、むしろチューハイの風味に似ているように感じました。
 (オランダ人のチューハイムさんが長崎の出島に伝えたやつです。) 
雑味のなさや酸味のひかえめさから推察するに液化仕込みかもしれませんが(←あくまでも私の推察です)、もしかしたらこの味わいは飲みやすさや親しみやすさを追求した結果であって、これも大関さんの社是である魁精神を具体化した成果なのかもしれません。



(※1)坂口謹一郎監修・加藤辨三郎編『日本の酒の歴史』p.644(長部文治郎執筆『ワンカップ物語』p.643-645中 1977.8 研成社)
(※2)ダイヤモンド・ビジネス企画編著『ワンカップ大関は、なぜ、トップを走り続けることができるのか?』p.13(2014.10 ダイヤモンド社)
(※3)黒井尚志『ヒット商品に秘密あり(14) ワンカップ大関 大関(21世紀の農家のための経営戦略 AGRIQUEST(アグリ・クエスト))』p.100(地上 59巻2号 p.99-101 2005.2 家の光協会)
(※4)聞き手=千田直哉、構成=小林麻理『The Interview +(プラス) 大関 代表取締役社長 西川定良 「ワンカップ大関」が発売50周年! 「魁精神」で新マーケットを切り拓く』p.77(Chain store age. 45巻17号 p.77-79 2014.10.1 ダイヤモンド・フリードマン社)
(※5)(※2)p.28
(※6)(※2)p.73
(※7)(※2)p.72
(※8)『ロングセラーブランドのコミュニケーション戦略 大関「ワンカップ大関」 業界に新風を巻き起こす 1964→2014』p.128(宣伝会議 878号 p.127-129 2014.12 株式会社宣伝会議)
(※9)(※2)p.77
(※10)(※3)p.100
(※11)(※2)p.79
(※12)(※2)p.136
(※13)(※2)p.138
(※14)(※2)p.52
(※15)(※2)p.88
(※16)(※2)p.183


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1000個目にあたって、思うところを少しだけ。


三年前の8月に書き始めたのですが、当初は近所で見つけた酒や、仕事で出かけた先で立ち寄ったスーパーで偶然に見つけたお酒、あるいはあくまでも観光目的で出かけた旅行先で入手したお酒などを紹介していくつもりでした。

ところが今となっては、このブログで紹介するお酒を集めることを第一目的としてあちらこちらへと出かけております。
それに、スーパーやコンビニを見つけると、真っ先に“酒コーナー”を目指して物色する癖がすっかりついてしまいました。

思えば、このブログを始めてからは、人との接触よりも酒との出会いを優先し、あるいは酒のためには金に糸目をつけずに散財 (貧乏人であることに変わりはないですので、大した額ではありませんが)するなど、常に酒を中心とした生活に移行してしまっております。

飲みたい酒を飲み、知りたいことを調べ、行きたいところへ酒を求めて出かけて行く。
私としては、そんな“酒を中心とした生活”がとても心地よいのです。
それ故、これからもこのブログを続けていくつもりです。

1000個目を超えても相変わらずくだらない内容のままでしょうが、読者の皆様におかれましては、こんな変わった酒の楽しみ方もあるのかと呆れながらお読みいただき、たまに鼻でクスリと笑っていただければ幸甚です。

【お酒】911.ハローズセレクション 淡麗辛口 清酒カップ [28.兵庫県の酒]

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販売者:株式会社ハローズ
広島県福山市南蔵王町6-26-7

製造者:櫻正宗株式会社
神戸市東灘区魚崎南町5-10-1

原材料名 米(国産)・米こうじ(国産米)・醸造アルコール・糖類・酸味料
アルコール分 14度
180ml
(以上、フタとラベルとより転記)




このお酒ですが、どうやら広島に本店を置くスーパーが企画した商品のようです。
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一方、造っているのは、1625年(寛永2年)創業の老舗であり、灘で宮水を発見したとされる(異論もあるようです)櫻正宗さんでした。
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そんな兵庫県は灘の名門である櫻正宗さんが造ったお酒ですが、糖類酸味料フル添加の三増酒でした。
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しかもこのお酒、お値段たったの105円(税込)でした。
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私がこれまでいただいた限りでは、櫻正宗さんが“櫻正宗”の名で販売なさっているお酒には、糖類添加の三増酒はありませんでした。
普通酒は上撰お燗瓶をいただいておりますが、もちろんこれにも糖類酸味料は添加されておりませんでした。

私は、櫻正宗さんについては、他の大手と比べて宣伝広告がひかえめで、酒造りについても儲けよりも酒質を重視する実直なイメージを抱いておりました。
それ故、今回、OEM生産ではあるものの、櫻正宗さんが今でも三増酒を造り続けていることを知って、かなりの心理的な衝撃を受けましたよ。

そうはいっても、世間には、100円前後で販売されている安いカップ酒が少なからず存在しております。
そういうカップ酒には、(“月”などの一部の例外を除いて)糖類や酸味料が添加されているものがほとんどです。
私はそういうお酒を飲みたいとは思いませんので、たとえ見つけても買わないことにしております。
しかし、このお酒だけは、櫻正宗さんが造り手であるということに惹かれて入手してしまいました。


そんな櫻正宗さんが造った三増酒をいただきます。
普通酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。

お酒の色は、ほぼ無色でした。
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一口含むと、アルコールの香りがはっきりしていることがわかります。

ああ、こりゃちょいピリですね。
すっぱさもわずかに感じます。

うまみは淡めというか、薄いですね。
薄いのでクドさはないものの、これは醸し出されたうまみではないと思います。
ただ、苦みがちょっとあるみたいです。

甘みはややはっきりしています。
糖添三増酒にありがちなとろみのような舌ざわりも少し感じます。


淡麗ちょいピリやや甘口のお酒でした。
アルコール香がはっきりしているのは、うまみが薄い(≒添加されたアルコールの割合が高い?)ことに起因するのかもしれません。
クドさはないので飲みにくくはないですが、ちょいピリでちょっと苦みがあることが気になりました。

一合を105円で販売するためには、このような味わいでよしとしなければならないのでしょうか?
というか、そもそもカップ酒をこのような低価格で販売する必要があるのでしょうか?

【お酒】722.龍力 大吟醸 米のささやき 300ml [28.兵庫県の酒]

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株式会社本田商店
兵庫県姫路市網干区高田361の1

アルコール分17度以上18度未満
原材料名 米(国産)米こうじ(国産米)醸造アルコール
兵庫県特A地区産酒造好適米(心白米)山田錦100%使用
精米歩合 酒母・麹米40% 掛米50%
内容量 300ml詰
(以上、ラベルより転記)




本田商店さんのお酒は、かつて龍力の特別本醸造カップと、龍力の特別純米酒 昔の酒 180mlとをいただいております。
今日いただくこのお酒は、満を持しての大吟醸です。


このお酒は伊丹空港へ行った際に“空港銘酒蔵”というお店で入手したのですが、300ml瓶で1,296円もしたのです。

品質表示をみると、原料米には高価であると思われる特A地区の山田錦を100%使用し、しかもそれを半分以上削ってしまってから使っていることがわかります。
(特A地区の意味については、調べたことをかつてこちらでまとめておりますので、ご覧ください。)
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それにこのお酒は大吟醸ですので、きっと低温の環境で熟成させているでしょうから、そのための費用もかかっていることと思います。


さぞやおいしいお酒であろうと予想しつつ、そろそろいただいてみたいと思います。
“燗にするな!”と表示されていますので、冷蔵庫で冷やしたものをいただきます。
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お酒の色は、ほぼ無色でした。
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アル添大吟醸だけあって、吟醸香がけっこうはっきりしています。
口に含むと、花のようなかおりが鼻へ抜けていきます。
ですが、香りにしつこさはなく、フワッと香った後でスッと引いて行きます。
それに度数が高めなせいか、アルコール香がちょっとはっきりしています。

うまみは淡めですが、しっかりしています。
お米のうまみそのものだと思います。
それが口にパッと広がって、スッと引きます。
一方で、苦みや雑味はまったくなく、酒臭さや熟成感もありません。

大吟醸だけあって、酸味はひかえめです。
ほとんど感じないくらいです。

甘みはひかえめですが、ゼロではないみたいです。
ごくわずかにあって、コクを添えている感じがします。


華やかな香りとともに、お米のうまみだけが抽出されたような、やや淡麗で旨やや辛口のおいしいお酒でした。
アルコール香がちょっと気になるかもしれません。
それでも、酒臭さや雑味だけでなく、酸味も抑えてあるのは、まさに大いに吟味して醸造した成果でしょう。
ですが、この澄んだ味わいは、これまでにいただいた龍力シリーズに共通しているようにも思いました。
私の好きな味わいとは正反対でしたが、こういうお酒もたまにはいいかと思います。
ていうか、この値段では、たまにしかいただけないごちそうでしょうね。

【お酒】695.本醸造 上撰 辛丹波 300ml [28.兵庫県の酒]

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大関株式会社
兵庫県西宮市今津出在家町4-9

原材料:米(国産)・米こうじ(国産米)・醸造アルコール
精米歩合70%
アルコール分15度以上16度未満
300ml
(以上、ラベルより転記)




辛丹波という名前が付いていますが、灘今津郷に蔵を構える大関さんのお酒です。
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大関さんのお酒は、かつてオダキュー天下の険の上撰カップと、創始者の名が付けられた大吟醸の超特撰大坂屋長兵衛とをいただいております。
今日いただくこのお酒は、“淡麗辛口”と銘打たれた本醸造です。
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このお酒ですが、私の住んでいる地域では、どこのスーパーへ行っても必ずあると言ってもよいほどよく見かけます。
酒集めの旅に出かけて、各地にあるスーパーの酒コーナーを覗いた際に、お目当ての地酒はなくてもこのお酒とワンカップ大関とだけはあって、がっかりしたことは数知れません。

今日はそんながっかりな広く販売されているお酒をいただきます。


また、このお酒のラベルには、“丹波杜氏伝承造り”と表記されています。
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“杜氏”というのは、「酒造工の長として杜氏補佐以下を総括、蔵内の管理全般」(※1)を職務とする人、すなわち酒造りのリーダーのことを指します。
しかし、「その出身地別に出身地名を冠して、杜氏個人またはその集団を「〇〇杜氏」とも呼ぶ。」(※2)そうです。

それ故、“丹波杜氏”とは、丹波地方を出身とする、杜氏とそれによって統率された酒造りの集団のことを指しているものと思われます。


この丹波杜氏ですが、「主として兵庫県、特に灘五郷の酒造に従事する杜氏として有名である。」(※3)と書かれているように、古くから灘五郷の蔵元さんとの結びつきが強かったようです。
すなわち、灘五郷で酒造りが発展した一因として、この丹波杜氏の存在があるようなのです。

なぜ、丹波杜氏は灘と結びついたのでしょうか。
というよりも、なぜ丹波の地で杜氏集団が形成されたのでしょうか。
これらのことについては、この記事の末尾で触れておきましたので、興味がおありの方はご覧ください。


というわけで、丹波杜氏伝承造りであるこのお酒を、そろそろいただいてみたいと思います。
本醸造ですので、今日もぬる燗でいただきます。

お酒の色は、無色でした。
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うまみは淡めですが、淡いなりに感じます。
酒臭さはなくて、やわらかいうまみです。
淡いせいでしょうか、苦みや雑味はありません。

酸味ははっきりしています。
すっぱさがかなり豊かです。
それに、ちょっとピリッと感じます。

甘みはひかえめですが、ゼロではないみたいです。
ほんのわずかですが、存在を確認することができます。


酸味が際立った、たしかに淡麗辛口のお酒でした。
これは酸味を味わうお酒でしょう。
甘みはわずかにあるものの、ちょいピリの酸味によって辛口に感じます。
雑味がなくてきれいな味わいですが、この酸味は好みの分かれるところだと思います。




★☆丹波杜氏発展の要因について★☆


丹波杜氏は、兵庫県の中東部、篠山市を中心とする地域を地盤とする杜氏とその集団のことです。
この地域は、灘の酒造業者から見れば六甲山を越えてちょっと行った辺りと、地理的には比較的近い場所です。

この地域で杜氏集団の形成が盛んになった理由はいくつかあるようですが、単に地理的に近かったからということだけではなく、とくに両者の利害が一致したことが大きいようです。

特に、江戸時代の中後期には、貨幣経済の浸透により、丹波の農民たちにとって冬期における副業の有無は死活問題ともなっていたようです。
それ故、農民側の利点(冬期における副業の獲得)は、酒造りの技術を必死に習得して酒造家の要望を満たすように彼らを動機付けた要因となったのではないでしょうか。


このことを述べている文献の記述を、以下に紹介します。

兵庫県の中東部、京都、大阪両府に界する多紀郡は徳川時代より、いわゆる「丹波杜氏」の出身地として広く世に知られている。農家の成年男子は稲の収穫が終われば灘五郷をはじめ各地方へ出稼ぎし翌年四、五月ごろ大枚の金を身につけて帰郷するという伝統的な慣習がある。」(※4)

丹波杜氏発生の外的要因として、地理的に丹波が酒造地池田、伊丹、灘目(武庫川下流より生田川にいたる灘五郷を含む地域)に近く(中略)、これらの地区における酒造業の発達にともなう、労働力や技術の需要を丹波に求めたものと思われる。
しかし、酒造出稼を丹波の農民にえらばせた直接的な原因は、この地方の気候条件が農業技術の幼稚であった往時において、農業の発達をさまたげ、農民が農業以外の他の副収入の道を求めざるをえなかったことにあろう。」(※5)

それでは何故、この地方の農民が、このように大挙して出稼するようになつたのであろうか。いわば出稼誘発の原因であるが、一般にはその地が冬期寒冷・積雪のため裏作の不能なことが指摘されている。(中略)江戸時代中頃までの未熟な農業技術をもつてしては冬期の裏作ということはなかなかの困難事であつたろう。裏作が不能であろうばそれだけ農民の生活が苦しいことはいうまでもない。
享保・元禄の頃を劃期とする貨幣・商品経済の急激な発達はこの勢に一段と拍車を加え、全国的規模において農民層の階層分化を押進めたのであつたが、このような形勢の下で、ともかくもかれらの生存を可能ならしめたものは、商品生産の発達に伴う副業の存在であつた。(中略)幸ともいおうか、この地方は丹波街道を通じて伊丹・池田・灘の大酒造地と繫り、而も耕作不能の農閑期と酒の生産期が都合よくマツチするため、ここに酒造出稼人として家計補充の方途を見出すことができたわけである。」(※6)


これらの文献では、丹波杜氏のことについてのみ論じております。
しかし、これは私の推測ですが、(地理的条件はともかく)これと同じことは江戸期から続いている杜氏集団の多くにも少なからずあてはまるのではないでしょうか。


(※1)灘酒研究会編『改訂 灘の酒 用語集』p.295(1997.10 灘酒研究会)
(※2)小泉武夫監修『日本酒百味百題』p.184(2000.4 柴田書店)
(※3)(※1)p.297
(※4)桑田昭三『丹波杜氏農業をこう見る-専業にまさる出稼ぎ兼業の農業基盤-』p.49(農林統計調査 第14巻第3号 1964.3 農林統計協会)
(※5)菅間誠之助『丹波杜氏(杜氏風土記)』p.48(日本醸造協会雑誌 第61巻第1号 1966.1)
(※6)井上洋一郎『酒神への奉仕者-丹波杜氏の歴史的考察-』p.23(経済人 第8巻第1号 1954 関西経済連合会)

【お酒】643.神鷹 サケカップ [28.兵庫県の酒]

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江井ヶ嶋酒造株式会社
兵庫県明石市大久保町西島919

原材料名 米・米こうじ・醸造アルコール
国産米100%
アルコール分15度
180ml詰
(以上、フタより転記)




江井ヶ嶋酒造さんの神鷹は、かつて普通酒のたる酒をいただいております。
今日いただくこの神鷹も普通酒ですが、こちらは樽酒ではありません。


普通酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。

お酒の色は、わずかにわかる程度でしょうか。
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うまみは淡めです。
しかし、醸し出された酒臭いうまみ(←ほめ言葉です)を感じますよ。
また、軽い苦みをわずかに感じます。

酸味はちょっとはっきりしています。
まろやかなすっぱさを感じる酸味です。
また、ごくわずかですが、ピリッと感じました。

甘みはひかえめです。
その存在をほんのわずかに感じる程度でした。


全体的に軽い口当たりではあるものの、お酒の味をちゃんと感じる、淡麗辛口のお酒でした。
淡くて軽い口当たりですが、うまみや酸味が軽いなりに存在しているので、物足りなさはないと思います。
それでいてクドさがまったくないので、食事とあわせやすいと思います。
これは完全に食中酒でしょうね。

そういえば、たる酒とは味わいがちがうようですが、別のお酒なのでしょうか?
舌がいいかげんなせいだろ。

【お酒】590.姫路城 純米 300ml [28.兵庫県の酒]

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製造元
名城酒造株式会社
兵庫県姫路市豊富町豊富2222-5
販売元
(株)光明兼光本店
兵庫県姫路市飾磨区構五丁目198

アルコール分 14度以上15度未満
原材料名 米(国産)・米こうじ(国産米)
精米歩合 70%
300ml詰
(以上、ラベルより転記)




このお酒の蔵元さんについて、文献では以下のように紹介されていました。
名城酒造は、元治元(1864)年創業の今井酒造を中心に姫路市内の6つの蔵元が昭和41(1966)年に合併して誕生した。(中略)」
140年以上の歴史を背に、伝統の味を守り続け、年間7千石、一升瓶にして70万本の清酒を生産。その量は播州でトップを争っている。今井専務は「お陰さまで北は北海道から南は鹿児島までと全国からご注文をいただいています」と“全国区”を強調した。」(※1)

このお酒が“全国区”であったおかげで、私も、仕事で出かけた先で見つけたスーパーで入手することができましたよ。
またサボってやがったな!


そんな“全国区”を強調なさっている蔵元さんが造ったこのお酒を、そろそろいただいてみたいと思います。
純米酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。

お酒の色は、ほぼ無色透明ですな。
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うまみは淡めです。
酒臭さはほとんどなく、むしろやわらかいうまみです。
ほんのちょっとだけですが、苦みを感じました。

酸味はしっかりしています。
うまみが淡いせいでしょうか、すっぱさがかなりはっきりしています。
刺激やピリピリ感はありません。

甘みは弱めですが、その存在はわずかにわかります。


酸味がさわやかな、淡麗爽快やや辛口のおいしいお酒でした。
この酸味は、八重垣の純米酒のそれに似ているように感じましたが、こっちのほうが飲みやすいでしょう。
濃いめの味付けの料理に合うと思います。
ふらり旅 いい酒 いい肴」を見ながらいただいていたら、あっという間になくなってしまいました。


(※1)神戸新聞総合出版センター編『播磨の地酒 こだわりの酒蔵めぐり』p.66(2010.10 神戸新聞総合出版センター)

【お酒】584.沢の鶴 本醸造 上撰 生酒 300ml [28.兵庫県の酒]

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沢の鶴株式会社
神戸市灘区新在家南町五丁目1番2号
(ここまで、ラベルより転記)

精米歩合70%
アルコール分13.5度
原材料名/米(日本産)・米麹(日本産米)・醸造アルコール
300ml
(以上、フタより転記)



灘五郷の最も西側“西郷”に位置する沢の鶴さんのお酒は、かつて特撰吟醸瑞兆と、普通酒の樽酒(酒道粋人)、そして本醸造の上撰お燗瓶をいただいております。
今日いただくこのお酒は、本醸造の生酒です。


このお酒ですが、ラベルには蔵元さんの名称と所在とが記載されているだけで、品質表示が全くなされておりません。
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品質表示は、フタにびっしりと表示されていましたよ。
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紙のラベルを貼らないお燗瓶であればこのような扱いもわかるのですが、ラベルが貼られているのに、どうしてラベルに表示をしないのでしょうか?


まあ、そんなこと、どうでもいいんですけれどね。
調べてないのかよ!

そろそろいただいてみたいと思います。
冷蔵庫で冷やしたものをいただきます。

お酒の色は、ほぼ無色ですね。
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一口含むと、フレッシュな風味を感じます。
ですが、それほど強くはなくて、ほんのりと感じる程度です。

うまみは淡めですが、しっかりしています。
やわらかいうまみに、ほんのわずかですが酒臭さ(←ほめ言葉です)を感じます。
苦みや雑味はないですね。

酸味はひかえめです。
すっぱさをほんのわずかに感じる程度です。
刺激やピリピリ感は全くありません。

甘みは弱めですが、弱いなりにその存在はわかります。
ベトつきはまったくなくて、さらっとした甘みです。


フレッシュな風味とやわらかいうまみとに、甘みをちょっと感じる、淡麗旨口のおいしいお酒でした。
アルコール度数13.5度と低めであることから、加水が多くて物足りないかと思ったのですが、そんなことはないですね。
それでも淡めで、スイスイと行けてしまいます。
暑いときにはビールもおいしいですが、こういうお酒だっていけると思うんですがね。

【お酒】539.櫻正宗 特別純米酒 宮水の華 300ml【追記あり】 [28.兵庫県の酒]

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櫻正宗株式会社
神戸市東灘区魚崎南町五丁目10番1号

原材料名/米(国産)、米こうじ(国産米)
使用米/兵庫県産山田錦100%使用
精米歩合/65%
アルコール度数/15度以上16度未満
300ml詰
(以上、ラベルより転記)



灘五郷は魚崎郷に位置し、日本全国に存在する“〇〇正宗”の元祖である櫻正宗さんのお酒は、かつて上撰のお燗瓶と、大吟醸カップに特撰吟醸、そして上撰本醸造のクールチェリーをいただいております。
今日いただくこのお酒は、“宮水”を使用した特別純米酒です。

特別純米酒の意味については、かつてこちらでまとめておりますので、ご覧ください


今日いただくこのお酒の名前には、“宮水”の名が使われています。

この“宮水”の意味について、ある文献では以下のように紹介されています。
宮水(みやみず)」とは、兵庫県西宮市の海岸近くの特定の地下から汲み上げられている地下水のことで、灘酒の名声を全国に広めた第一の要因といわれる。この水が醸造用水として非常に優れた水であることが発見されたのは、天保十一年(1840)のことである。」(※1)

西宮の一部の地域には、この宮水を汲み上げるための井戸が存在しています。


これは、櫻正宗さんが所有している宮水の井戸です。
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そして、一般的には、この宮水を最初に発見したのが、櫻正宗の六代目ご当主である山邑太左衛門(やまむらたざえもん)さんであると言われているようです。
今日いただくこのお酒のラベルには、その経緯について詳しく書かれています。
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“一般的には、”と書きましたが、どうもこれには異論もあるみたいです。
このことについて、別の文献では以下のように紹介されていました。
しかし、西宮の水は、同じ魚崎郷の雀部市郎右衛門(ささべいちろううえもん)(原文では“雀”にくさかんむりが付く:ブログ筆者注記)により天保八年(一八三七)に発見された、との異説もある(『灘酒沿革誌』)。」(※2)
また、別に天保8年やはり魚崎の雀部市郎右衛門(こちらはくさかんむりなし:ブログ筆者注記)という人が、西宮に酒蔵を持ち、鱗印という井戸の水で酒を仕込んだところ、良い酒ができたので宮水の研究を始めたそうだ。」(※3)

これをふまえてか、宮水の井戸が密集する地域に掲示された説明版の内容は、この両論が併記されたものとなっています。
(読みにくくてスミマセン。)
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これらの記述によれば、雀部さんは山邑さんよりも3年早く発見していることになります。
それでも櫻正宗さんが宮水発見の蔵を自称なさるのは、いったいどのような理由によるものなのでしょうか?
この点は、今後調べてみたいと思います。
調べてないのかよ!


☆★☆★【2016/10/22追記】☆★☆★

その後、手元の文献に以下の記述があることを発見しました。

しかし、宮水が酒造用水として比類のない霊水であることが知られるようになったのは、天保8年(1837)に雀部市右衛門(ささべいちうえもん)が西宮で鱗(うろこ)井戸を発見して、この井戸水を用いて造った酒を江戸に出荷したところ好評であったこともあるが、何よりも山邑太左衛門(やまむらたざえもん)の功績によるところが大きい、山邑家はその当時(江戸時代末期)西宮郷と魚崎郷で酒を造っていたが、常に西宮郷の酒が優れていることに気づき、酒造米を同一にしたり、蔵人を交代させたりしたが効果がなかった。そこで西宮郷、梅の木蔵の井水を魚崎郷で用いたところ、西宮の酒同様、良酒が醸出された。このことから断然意を決して、天保11年(1840)より西宮郷の梅の木蔵の梅の木井戸(うめのきいど)の井水を魚崎に輸送し仕込水に用いるようになり、優秀な酒が造られ江戸の市場でも大好評であった。以後灘はもとより、他地方の酒造家も競って西宮の井水を求め、使用するに至ったという。この梅の木井戸が宮水発祥の井戸となり、山邑太左衛門が発見者とされている。」(※12)

要するに、最初に宮水を発見したのは雀部さんだけれども、宮水が優れていることをはじめて実証したのは山邑さんだということでしょうね。

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★


もっとも、櫻正宗さんがなぜ宮水の発見蔵であることをここまでアピールなさるのでしょうか?
それは、宮水が酒造用水としてものすごく優れているからでしょう。
そして、それを発見したのがわが蔵の当主であるとおっしゃりたいのでしょう。

では、宮水は、いったいどのくらい優れているのでしょうか。
このことについて、文献には以下のような記述がありました。
なにしろ宮水は、酒造りに有害な鉄イオンをほとんど含まない。その代わり酵母の増殖にすぐれた栄養となるリンを2ppmも含む。よその酒造水の10倍近い濃度である。そればかりでなく、分析にもひっかからないほどの微量の諸成分が、酒造りに絶好の割合で溶け込んでいるらしい。」(※4)
宮水を使った酒は、秋晴れといって円熟度を増し、味が一段と豊醇になる。つまり、灘酒特有の香り高い芳醇味が生れるだけではなく、夏を過ごして秋になると、他地方の酒とは反対に、酒質が向上するのが特徴である。」(※5)

出来たてのお酒よりも秋になったほうがおいしいということは、保存が効くということにもなりますね。
この点は、かつて灘酒が江戸へ運ばれてもてはやされた一因なのかもしれませんね。


なお、宮水については、私自身がぜひ“覚えておきたい”と思うことをこの記事の最後にまとめておきました。
もし興味がおありでしたら、お読みください。


お待たせいたしました。
それでは、そろそろいただいてみたいと思います。
特別純米酒ですので、今日もぬる燗でいただきます。

色はほぼ無色透明です。
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うまみは淡めですが、かなりしっかりしています。
お米のうまみが凝縮されたようなうまみです。
それでいて、濃くガツンと来るのではなくて、奥ゆかしい感じがします。
しかも、純米酒ですが、苦みや雑味が全くありません。

酸味はかなりはっきりしています。
すっぱさがかなり豊かですが、けっして雑な感じではなくて、きれいな酸味です。
しかもこの酸味には、深みを感じます。
それでいて、刺激やピリピリ感は全くありません。

甘みはひかえめです。
しかし、ほんのわずかに存在することがわかります。
これがお酒の味にコクを添えているようです。


深みのあるきれいな酸味と、奥ゆかしいうまみとを味わうことができる、やや淡麗でやや辛旨口のおいしいお酒でした。
醸造アルコールを添加していないのに軽快で、しかも雑味が出ていません。
これは丁寧に造ってある証拠でしょう。
特別純米酒を名乗るにふさわしいお酒だと思います。
さすが灘の名門、櫻正宗さんのお酒でした。






★☆宮水について覚えておきたいこと★☆


(1)宮水地帯:もはや最後の砦

宮水が湧き出る井戸がある場所のことを、宮水地帯といいます。
この宮水地帯については、「場所は、市役所の南方約500m、国道43号線のすぐ南で、東西250m、南北250mの範囲である。かつては、東西500m、南北1kmくらいの範囲であったが、自然条件の変化から狭まってきている。」とのこと(※6)。

この、宮水地帯が狭まったことについて、別の文献では以下のように紹介していました。
大正末期までは海岸近くでも良い水が得られ、第一図に示すように国道四三号線以南から海岸に至る一kmのすべての地域(第一次・第二次宮水撤収地帯を含む)で揚水されていた。
海岸地帯から北へ四〇〇mの間に散在する宮水井戸は、西宮港の改修工事(明治末期から大正はじめにかけて:ブログ筆者注記)によって被害を被り、宮水中のクロールが増加し、酒造用水に適さなくなって第二次宮水撤収地帯まで縮小されたのである。
その後、昭和九年(1934)には室戸台風による被害を受け、さらに北方へ井戸場を移す必要に迫られた。これが現在も使用されている第三次宮水地帯である。
この地域には、約三〇の井戸場に七十余本の井戸が掘られ、揚水されている。この地帯こそ宮水の得られる北限であり、この地帯の宮水が劣化すれば、もはや代替地はない。」(※7)


(2)なぜここで湧くのか?:偶然の賜物

では、なぜこの場所で、酒造りに最適な水が湧くのでしょうか?
この点について、文献では以下のように紹介されておりました。
西宮市の南部は、図2に示すように古墳時代中期までは、海が現在の西宮市役所よりさらに北へ1.2kmのところまで袋状に入り込んでいた。中世後期には入り江の沼沢地も陸地化し、海岸寄りの元の陸地部分(ここが今の宮水地帯:ブログ筆者注記)と一体となって現在の西宮の地形となった。したがって、山麓より南下する御手洗川の伏流水は、かつて海底であった浅海性の貝殻、海藻、プランクトンなどの堆積物を含む砂層を通り、無機成分を溶解し適度の中硬水でカリウムが多く、リンが特異的に多い法安寺伏流となって宮水地帯へと向かう。
宮水地帯は、夙川の旧河床と推定され、その第一供給源は、夙川から西宮(戎)神社付近の地下を流下する、酸素を多く含んだ戎伏流で、これに無機成分を多く含む上記の法安寺伏流が、宮水地帯に隣接した北部で合流し、酒造りにとって種々の有効成分の付加と、有害成分の除去が自然に行われ、酒造りに最適の成分を供えた宮水になると考えられている。」(ここまで※8)
例えば、鉄分の多い法安寺伏流は、酸素の多い戎伏流と合流すると、鉄分は酸化して不溶性の酸化鉄となって除去され、鉄分のきわめて少ない宮水となる。」(※9)

要するに、こういうことでしょう。

★1:宮水地帯の北側は、かつて海(入り江)だった。
★2:海だったところを通ってくる法安寺伏流が、酒造りに必要な成分を運んでくる。
★3:一方、宮水地帯の北西側からは、酸素を含んだ戎伏流が流れてくる。
★4:法安寺伏流と戎伏流とは、宮水地帯のちょうど北面で合流する。
★5:合流により、有効成分がちょうどよくなると共に、有害成分が除去される。

これはまさに、偶然の賜物ですな。
上記(1)で紹介した文献では、現在の宮水地帯が北限であると記述されていましたが、その理由はこういうこと(特に上記★4★5)だったのですね。


(3)震災による影響:直接的な影響はほとんど無し

その後、西宮では、第三次宮水地帯を脅かす出来事が起こります。
それは、阪神・淡路大震災です。

しかし宮水は、震災に負けることなく湧き続けたようです。
これについて、文献では以下のように紹介していました。
宮水地帯の酒造用井戸の障害はほとんど認められない。地震直後数日間は、わずかに濁りが認められたが徐々に沈殿し透明になった。濁度の長引く井戸は、有機物10mg・l-1、全鉄0.2~0.15mg・l-1となった井戸があったが、時々井戸底を静かに攪拌しながら5㎥・h-1程度に揚水を続けたところ約1カ月で有機物2~3mg・l-1全鉄0.03~0.01mg・l-1に減少し正常値に戻った。
宮水地帯とその周辺部の井戸は被害がほとんど無いのは、帯水層が主に砂層であり、井戸側も強固に出来ていることと、平素から過剰揚水にならぬよう管理されているためであろう。
以上述べたようにこのたびの震災による地下水への影響は比較的少なかったと考えられ、管理された酒造用井戸水、宮水への影響は、震災直後を除いてはほとんど無く、むしろあるとすれば、その後の復興のための建設工事、河川改修工事等による直接的、間接的な影響であろう。」(※10)


(4)宮水の保全活動

宮水の井戸は、もはや最後の砦まで攻め込まれています。
それ故、西宮では、官民を挙げてその保全に取り組んでいるようです。

このことについて、文献では以下のように紹介していました。
宮水の保全と調査は古く1924年、当時の地質、地下水の権威者、関係官公庁、灘五郷関係者らにより「宮水保護調査会」が組織され宮水保護のため、海水侵入防止策として、港湾浚渫時期が従来は冬季か早春であったのを、初夏または梅雨前に変更する案を議決し、兵庫県会においても認められた。また宮水地帯周辺を含む広範囲にわたる井水の水位、水質の調査を行い、宮水の流路、各種成分の等値曲線図など詳細な調査結果が1927年に発表されている。このような組織立った調査は、わが国では地下水調査の嚆矢とされている。
調査会は一時中断後、1954年塩水化等の問題もあって再び西宮市長を会長に「宮水保存調査会」が組織され調査と保全活動を活発に行っている。(中略)保全活動の主なものを挙げると、(中略)そのほか、伏流水の流路と思われる場所の地下室の排除要請、または地中梁下、地下側壁部に砂利層を設けることによる伏流水のバイパス工事の要請、地下水に影響の少ない基礎杭工法の採用等の要望を宮水地帯周辺半径1km範囲の地下工事を伴う建設工事に対して、西宮市建設局の指導を得て、事業主、施工者の理解と協力のもとに、100棟を越えるビル、マンション建設について対策、協議を行っている。
特に、国、公共団体等による大規模建設工事の場合は、地下水対策委員会を設け学識経験者を交え検討、試行、施工後の事後確認を行い、時には数年以上に及ぶこともあった。ことに震災以後の公共団体、法人、個人による建設ラッシュ時には毎月十数件の対策協議を行った。このように遠く過去から現在に至るまで、多くの地域の人達の理解と協力のもとに、この僅か10k㎡の、しかも半ば以上市街化された涵養源しか持たない宮水や西三郷の井水が、水質水量ともに保全されていることは奇跡的と言わねばならない。」(※10)


かつて読んた文献では、“地下水は共有財(コモンズ)であって、私的に使えば悲劇が起きるが、適切に管理すれば持続的に機能し得る”とのことが書かれていました(※11)。
どちらが先かということもありますが、宮水の保全活動はそれを地で行くものなのでしょう。


(※1)小泉武夫監修『日本酒百味百題』p.94(2000.4 柴田書店)
(※2)鈴木芳行『日本酒の近現代史 酒造地の誕生』p.55(2015.5 吉川弘文館)
(※3)鎌田勉『にしのみやの水と宮水』p.95(水道協会雑誌 第563号 1981.8 日本水道協会)
(※4)河合信和『この道 酒どころ灘の宮水の調査を続ける済川要さん』p.107(科学朝日 第38巻第8号 1978.8 朝日新聞社)
(※5)済川要『名水を訪ねて(5)宮水』p.57(地下水学会誌 第31巻第1号 1989.2 日本地下水学会)
(※6)(※3)p.96
(※7)岩井重久『みず 天の恵み宮水の不思議』p.82(『灘の酒博物館』(1983.10 講談社)に収録)
(※8)髙岡祥夫『宮水の保全活動について-阪神大震災と宮水の状況-』p.15(水環境学会誌 第24巻第1号(通号231号)2001.1 日本水環境学会)
(※9)(※7)p.86
(※10)(※8)p.16-17
(※11)榧根勇『地下水と地形の科学 水文学入門』p.13より(2013.2文庫化、原本は1992刊 講談社学術文庫)
(※12)灘酒研究会編『改訂 灘の酒 用語集』p.31-32(1997.10 灘酒研究会)
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